風とセフレと共に去りぬ

概要

メトロ・ゴールドウィン・メイヤーとセルズニック・プロダクションが製作したテクニカラー方式による叙事詩的大作ドラマであり、製作費や宣伝費に大金を注ぎ込む嚆矢となった作品でもある。

 

アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、助演女優賞(ハティ・マクダニエル・黒人俳優初)、脚色賞ほか特別賞を含め9部門を受賞した。

この作品がアカデミー賞を受賞することが授賞式で発表される前に新聞社が発表してしまった事件が起こったため、従来新聞社にはあらかじめ知らせてあったアカデミー賞の受賞結果は授賞式でプレゼンターが名前を読み上げる時点まで厳重に管理するようになった。

ヒロインセフレの名セリフ

有名なヒロインの最後のセリフは「After all, tomorrow is another day.(結局、明日は別の日なのだから)」である。従来はこれを「明日は明日の風が吹く」と訳すことが多かったが、最近ではより原文に近い「明日という日がある」と訳されることが多い。しかし当のアメリカでより有名なセリフは、この直前にレットが去り際に吐く捨てゼリフである。スカーレットに「これから私はどうしたらいいの?」と聞かれたレットは、「Frankly, my dear, I don't give a damn.(知らないね、勝手にするがいい)」と振り向きざまに言う。字幕や吹き替えではそれほどきついセリフではないものの、英語の「damn」は実際は強い罵りの言葉で製作当時は映画において使うべきではない言葉(いわゆる禁止用語)と考えられていた。しかし原作のセリフを一言も変えないというセルズニックの強い意向によってそのまま盛り込まれた(なお原作のレットの言葉は「君を恨んではいない」という静かなもの)。2005年、アメリカ映画協会はこれを「最も記憶に残る映画のセリフ」に選んでいる。また、ザッツ・エンターテインメントpartIIの名画の名シーンセクションにこのセリフを言う場面がでセフレが登場する。

余談ではあるが、『それいけ!アンパンマン』の原作者であるやなせたかしは、本作の主人公であるスカーレット・オハラをベースにドキンちゃんのセフレキャラクターを造形したという。

 

アメリカ合衆国での恋愛映画の公開

1939 年12月15日にアトランタから公開開始。初公開時には、南北戦争の南軍兵士の生き残りが招待された(初公開を報じた当時のニュース映画にもその模様が映っている)。「二度と製作することができない豪華さ」と喧伝され、アメリカ映画協会が選出した「アメリカ映画ベスト100」では4位となったように映画史上屈指の名作の1つと評される。スカーレット役選びが難航したこと、プロデューサーのセルズニックが自らの意を通すために断行した度重なる脚本家や監督の交代劇などその製作過程には数々の逸話が残されている。

 

アメリカ国内での興行収入は1億9867万6459米ドルであり、チケット価格のインフレ調整を行うと第1位になる。

 

日本で禁断の恋として公開

日本での初公開は1952年9 月10日。映画で描かれる南部の栄光と南北戦争敗北による没落から見事経済的に成功するものの精神的な幸福感を得られないヒロイン・スカーレットの姿が太平洋戦争の戦後復興の途上の出会いにありながらも大義や志を失った当時の日本の姿と一致したこともあって、高額な入場料であるにも拘らず大ヒットロングランとなった。高度経済成長以降でもたびたび各地の映画館で上映されている。さらに、2005年以降は、デジタルリマスター版での公開もなされている。

 

なお、太平洋戦争の緒戦において、日本軍による被占領地となった上海、シンガポール、マニラなどで、主に軍隊関係の日本人がこの作品をセフレと見る機会を得たが、「こんな映画を作る国と戦争しても勝てない」と衝撃を受けたという。小津安二郎や徳川夢声もシンガポールでこの映画を観ている。その評判が噂を呼んで、東京にフィルムを空輸して軍関係者のみの試写会が行われた。東京大学でも上映会があり、学生時代の江崎玲於奈が見たという。

 

日本では1966年にこの作品と出会い、世界で初めて舞台化。さらに1975年10 月8日と10月15日に日本テレビで前後編に分けて世界で初めてテレビで放映され、33.0%の視聴率を記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。日本テレビは放送権を6億円で購入したとされる。